黄昏時のラクガキ
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しろうからKへの公開書簡 #04


かつて僕は蒟蒻ゼリーを食べた。
何がしかモノを書く行為の下で「書き出しが一番難しい」というようなことが一般によく言われている気がするが、そうではないと思う。それはむしろ元日に餅を食べるのと同じくらいにお手軽であるために、不意に咽喉を詰まらせてしまう危機に陥ることを過剰に怖れてしまうが所以の自縄自縛であろう。誰だってなんもない平坦な道ですっ転んで赤っ恥はかきたくないから「生まれてから自分の両足で歩き出すまでが一番大変だった」と嘯いてみせる。そこに逆説的に物書きにおける恥が内在している。餅を至極慎重に臓腑の底まで飲み下してから書き出しをものして転ばないように取り繕った上で必然のごとく転んでみせ、ご多分に漏れずかくあるべくして恥をかくのがことさらに詩人のごとき生き物なのだ。転ぶ。当然僕も恥者であるのは間違いないが、ここでビビったら負けだ。

ゆえに僕は蒟蒻ゼリーを食べる。
こいつは唾液で分解できないので、歯で噛み砕きさえしなければいつまでも口腔内に存在をまるごと持続するものであるために、気の向くまま飽き果てるまで口中で弄ぶことができる。いや違うよ、僕はダイエット戦士というわけでは全くないからね。ではなにゆえ朝昼晩と三々九度(この四字熟語に新たな用法を提言しよう、つまり「散々苦しむほどの回数」というような意味にとれるが定着するまでは定かではない)蒟蒻ゼリーを食べ続けているのかと尋ねられればそうだ書き忘れていたが僕は朝昼晩と三々九度蒟蒻ゼリーを食べているのだった、鉄板の上で加熱された紋甲イカのように胸を反り返らせてこう答えるとしよう。我が種の進化のためである、と。そう、遠からぬ未来に来たるべき食糧危機に満を持して備えるために、グルコマンナンを胃腸内でグルコースとマンノースとに分解する消化酵素を生成する能力を会得しておこうというわけだ。ああちなみに僕は獲得形質は遺伝する(可能性もある)と思っているんだ。僕が思っているからそうであるわけで、これは三十世代くらい蒟蒻ゼリーを三々九度食べ続けていけばもう確実なんだ。たとえば日本の猫はほぼ例外なく魚が好きなんだけれどこれって獲得形質だよねなんていうと遺伝科学に明るい人からは怒られそうだけど、僕はそう思うからそう思うわけ。それによって食糧問題は解決する、というのはまずもってあり得ないことだが、少なくとも人類との棲み分けは可能になる。ここで君に「いやそれなら紙を食べ続けてセルロースを分解できるようになるほうが全人類的にいいんじゃないの?」と言われるかもしれない。断固拒否断固三兄弟。紙の価格が高騰して本が買えなくなったらどうするんだけしからん、首を洗っておととい出直せ。そもそも本音を言うなら実のところ僕は食糧危機なんてものに一向に関心はないんだ。真実、根元からこの問題を解決しようとするならば方法はひとつしかないからね。したがって栄養をセルロースに頼るのはナンセンス。要するにことは僕の自己中な思考体系と根っからの怠惰体質に頼るものであって、グルコマンナンを分解する形質を獲得できるとするならばまかり間違って僕の種を残すこともあながち害悪ではないかなと思うわけで、つまり少なくとも食料面ではみなさんのお邪魔はしないよっていうことさ。さてね、近頃になって僕は僕自身がストーリーというものにあまり興味がないんだなということに気が付いた。あるテクストの持つストーリー性の多寡高低を云々するより以前に原初的にテクストにはストーリーが内包されている。それはもう遺伝子的にインプリンティングで。だから何がしかの文章を読むときに「ああなるほど」「いやこれはおかしいな」というようなことを必ずしも経験則に依らずに識別しうるわけで。だけどそういう規定路線からのズレから何かを感得しようって態度にも、もういい加減に飽きてきたよなっていう。無論ここで文学論なんかを一席ぶつつもりじゃあないんだよ。そもそも方法論を持たないことが僕における方法論であり、こうした逆説的な自己言及でしかそれを示す事はできない。ついてはひとこと、我思うゆえに我思う、で済ませてしまえばいいかとも思わなくもないけれどそれでは単なる恥のかき捨てだ。あまり芸は無いがここは自己言及を重ねるより他にないだろう。
そうだ突然だけど今この瞬間はとても絵が描きたいんだ。比喩ではなく、絵の具を練り合わせて作る色彩を動物か何かの体毛でできた筆に染み込ませてキャンパス地のキャンパスに向かって撫で付けたいという渇望こそが今この瞬間だ。それは何故かというと、こないだ絵を描くための道具をみんな捨ててしまったからなんだ。
子供の頃ね、とても不思議だったのさ。たとえば夏真っ盛りに大人と子供で海でもいいけどどちらかと言わなくても山のほうが好きかなへキャンプに出掛けたら山の向こうに太陽が宵の明星とシケこんでしまってから花火でもするとしようか。子供はここで最高潮に盛り上がってて大人はちょっと疲れているという精神的状況は肉体的状況においては逆相関のグラフを描いているということを加算して相殺するとして、大人たちは総じて花火を楽しんでいる振りをしながらその場の賑やかし程度にしか新しい火筒を手に手に持ち替えようとはしないことを子供の目はきちんと見抜いている。あるいはおいしい物、とりわけ甘い果物なんかも分かりやすいかな。なんだね、子供の頃の思い出を思い出すのは夏についてが妙に相応しいとは思わないかね?ここは晩夏の昼下がりの設定で西瓜か白桃にでもしようかとどちらかと言えばかつては桃が好きだったがやはり夏の風物詩ここで「風物詩」という語に筆者はゲシュタルト崩壊を起こしたことを明記しておくは西瓜であり今となっては西瓜を好むので西瓜にしようを食べる時だ。西瓜を大皿に盛り込んでみたならば、大人はおいしそうに食べる振りをしながらやたらとゆっくりと食べたりして誤魔化すかむやみに立ったり座ったりして引き延ばしするか「タネ飛ばしをしよう」なんて言って子供を縁側に誘ってから自身は奥にフェードアウトしたりする。かような彼らの行動について幼い頃は不思議で仕方がなかった。なぜ大人は花火のように楽しいこと西瓜のようにおいしい物に飛び上がってかぶりつかないんだろう?「あんたたちが楽しめば/食べればそれでいいんだよ」なんて言い草は嘘っぱちだと分かってたけど、じゃあ何が本当なのかということについては幼少の身には皆目見当が付かなかった。
はてさて、大人というものは経験で知っていたのさ。絵が描きたくなりたければ絵筆を手放さなくてはならないということを。

かくして僕は蒟蒻ゼリーを黙々と食べている。
なぁに僕はいまこそ飽きるということに飽きてしまいたいのだ。蒟蒻ゼリーを手放してみなくても蒟蒻ゼリーが食べたくて蒟蒻ゼリーを食べたいように思っても蒟蒻ゼリーが食べたくて蒟蒻ゼリーを食べていながらも蒟蒻ゼリーが食べたいと思っていたいのだ。先日僕は、ある亡くなった作家の遺稿を読んだのだった。それは下書き以前の乱雑な原稿をそっくり原文ママで掲載されている点においてかつて生きていた作家本人にとっては不本意であることこの上なかろうと察するがすでに生きていない作家はおしなべてなんとも思うことあたわずであろうからしてさほど気に病むこともなかろう読者としては、物語とはきっとこれこそがあるべくしてある最適のものだと僕は思ったものさ。そのテクストは、

ついでに言えば、

で途切れていた。そう、始まってしまった物語の続きはいつだって「ついでに言えば、」でしかないんだ。そして、ついでに言っている限り終わることもない。


はたして僕は蒟蒻ゼリーを脈々と食べるだろう。
そして僕は歯を磨く。最低でも1日5回は磨く。朝起きたら磨き、朝食の蒟蒻ゼリーを食べて磨き、昼食の蒟蒻ゼリーを食べて磨き、夕食の蒟蒻ゼリーを食べて磨き、就寝前に磨く。もしおやつとして蒟蒻ゼリーを間食した場合は歯磨きもその間食の回数分増える。うちの流し台兼洗面台には歯ブラシ5種類がもしやまれに見えないところで喧嘩しているかどうかは知る由も無いのだが一見仲良さそうに並んでいてそのすべてが僕専用で、1日5回だからといって5種類をローテで使い分けるわけではないが、その時々の気分でがっしがっし磨ぎまくりたいかやさしくなぜるように磨きたいか歯と歯のスキマを狙いたいか歯ぐきを狙いたいか時間が惜しいからサッと済ませたいかによって選択が異なる。ちなみにうちは「かため」以外の歯ブラシは取り揃えていないが、「かた“め”」という度合いがあるならばその上に「かたい」が鎮座ましましているのが必定なのになぜ「かたい」が陳列されないのか僕はつねづね疑問であり否それよりいっそ「メガ硬」が販売されたならば大ヒット商品になるのは間違いないと思っていてそうだこう書いてみて確信するに至ったさてどこのメーカーにこのアイディアを持ち掛けてくれようぐふふギャランティはいらないからモニターとして採用してもらおううむそうするいずれ世間で「メガ硬歯ブラシ」が流通しだしたらそれは僕の功績だと思ってくれて間違いない。
さてここいらで少しはストレートに返書っぽいものもしたためねばならないかと思いつつも思い留まる。総じて物事ってのは本筋よりも外郭のほうが層が厚いものだってことくらいは、あえてこの梅雨に雨乞いをして雨を降らせて見せずとも明白だね。しかるに僕のこの書簡に何がしかの意味やモチーフやシンボルがあるのかどうかは君あるいは君たちの思うところに依るものであって僕はそれに関してはゴミ箱の中のシケモク程度にしか興味は無いがゴミ箱の中のシケモクは我が脳のシワの片隅にその本数や長さ等の情報がメモライズされている程度の貧乏性を僕は持ち合わせており、こんな風に韜晦してみせるのは恥を恥として認めたくないための予防線だったりする。しかし何よりも、恥を晒してますってポーズを取ることで実質の恥を軽減しようという浅ましい計算こそが恥ずかしいと気付いてもいるんだ。上辺を取り繕ってみるのも、飾らぬ振りを気取るのも、さほど大きな違いはない。進めども恥退けども恥。かくも詩書きは恥をかく。いずれにせよここまで来たんだ。もう少しだけ上塗りをする。

おそらく誰しもこういう考えを持ったことがあるだろうと思うがそうそう「誰だって」とか「誰しも」とかいう言葉はとても簡易に他者を全体へと引きずり込むことができる魔性の言葉で甚だ便利ではあるのだが実際のところは発話者において自身の価値観をまるで全体性へと敷衍し得たかのような錯覚をもたらすだけのことが多いちなみに初段でも一度「誰だって」というのを使ったのでここで二度目の使用それは、この世界にはほんとうのところ自分自身しかいないんじゃないかという空想だ。そして決まって次にする空想は自分は他人の空想の産物で実際はどこにもいないんじゃないか、というヤツ。なんか思春期のJIS規格みたいな世界認識で今時にいえば中二病もあながち間違いじゃないけど、これに心理学的な解答を与えるのでは幾分物足りない気がする。思うに事実そういう在り方も可能であったと考えるのはいささか乱暴だろうかいや反証はできまい。二十代も半ばに及んでもそれを信じていたやつを僕は知ってるし、神様や幽霊やUFOなどと同程度あるいは以上にその空想を信じても何ら不都合はないと僕は思うんだよね。世界が自分ひとりの空想の産物だとしても、自分が誰かの空想の産物だとしても、わりと思い通りにはならないんだなって実感は変わらないものとしてあって、結局やること自体も変わらないんだな。そもそも宇宙開闢がどのようにして起こったか及び宇宙はどこへ向かうのかを感得せずして生物が生命維持活動し続けることが可能であるとは僕にはどうにも考えられなくて、真実のところは脳に知識として無くとも命のどこかにしら記録されているに違いないはず。もしも仮にその記録が刻まれている場所がこの生命の裡に無いとするならば僕は、僕が世界を創ったんだから宇宙のことなんて知らなくてもまさにあるようにしてここに世界はあるんだ、ということの方が遥かに自然に受け入れられる。したがってKであるところの君も僕によって創造された被造物なのだと宣言しようものなら、きっと君はバスルームに入ったら靴下の足でナメクジを踏んでしまったような心持ちになるだろうか。あるいはKが世界を作ったのだから、その構成要因としての僕が存在するということでも僕は一向に構わないんだがどうする?僕は靴下の足でナメクジを踏むのには慣れているから。
原初より遺伝子的にインプリンティングされたストーリー。僕はそれに逆らうつもりは足の親指の第一関節上の毛の先ほども無いんだが、それに倣えば安堵を覚えるということもまた足の踵から剥がれ落ちる角質ほどしか無いのだろうと思う。なべてストーリーに依らない人が、また依るまいとする人がいるからこそ、僕は恥をかきつつも綴るのだろう。僕が咽喉を詰まらせるまでは、きっと蒟蒻ゼリーは生産され続けているだろうし、ついでに言えば、



だからね、僕とKとの遣り取りにおいて言葉や意味そのものの歯車が噛み合うか否かはさほど重要じゃないと僕は考えている。むしろ噛み合せようという意図は邪魔でしかないとさえ言えよう。
僕は君を試すつもりなど毛頭ないし、逆に引き立てようとする意思はハナから持ち合わせていない。以下が満たされれば他に僕が望むことはない。すなわちこの書簡の中間で何がしかの反応が起こっているとするならば。あるいはこちらがAであるならば瞬時にそちらはBであるような観測ができれば。



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2015-05-02 Sat 13:41
別窓 | 公開書簡 | コメント:0
ロマネスク


忘れたことを縒り合せた糸で
軌道エレベーターを作ろう
スペクトラムにロマンじみてる送話には
3歩ほど首をかしげるくらいが正直

しゃっくりのようなブレスを挟んでくれたら
じっと声が聴きたくもなろうよ
へたな四角で揚げた旗で揺れ









2013-05-11 Sat 00:11
別窓 | 七行詩 | コメント:0
サイレント


水際のハレルヤ
低くて低い山頂とやら
潮風のように鼻腔をくすぐるのは
あの日撫でた仔猫の後れ毛

虹は見せられたはずだから
許すことも許されることもないのなら
終わらないかくれんぼ







2013-04-29 Mon 02:49
別窓 | 七行詩 | コメント:0
糸車


菱形のような輪だ
水に跳ね返るような泡沫だ
知らしめんとする言霊が
ただのこだまだと気付いていたのは
朝靄をつらぬいて啼く雉鳥か
歌うすべのない兎だったか
それでも、紡がれる糸と糸車







2013-04-29 Mon 02:22
別窓 | 七行詩 | コメント:0
Forgiven white blood


  GO

『業』という言葉が日本語にあるという。
私がある民族紛争地域に派兵された際、最初に降り立ったベースキャンプでたまたま仲良くなった通信兵で日系二世のケンジに教わった。
「『業』ってのはたった一文字でactやskillやwork、はたまたsinや仏教(ブッディスト)のkarma、文脈によってはmiracleを表すこともあるんだぜ」
とケンジは紙にその文字を書いてくれた。
「まるでフェンシングのフルーレでさんざん串刺しにされた人間のような文字だな」
と感想を言ったら、「まったくだ」と彼は笑った。


それから戦線を渡り歩くうちに、敵対武装組織の虐殺があった直後の村を通り抜けた事があった。焼け落ちたり崩れ落ちたりした家々の残骸のあたりで撃たれたまま倒れている住民もあったが、その村人のほとんどは、村の外れにある塹壕に集められて生きながらにして燃やされていた。敵対組織の連中にとっては貴重な弾薬を浪費するよりも安価な上に、最も手軽な手法だったのだろう。村人達は燃料になるものを自ら集めさせられたのかもしれない、と想像してみると、とてもじゃないがぞっとしない。
我々の部隊が到着した時には、まだ炎は燻っていて人体の燃える厭な匂いが漂っていた。それにしても人体が燃える時というのはなぜいつもこんな厭な匂いがするのだろう。
我々が祖国で食すステーキやバーベキューの食欲をそそるような香ばしさは一切含まれていない。もちろん服飾品や爪や体毛の焦げる匂いのせいもあるだろう。
しかし私にはそれが人間の血液が燃えることによるもののように思えた。そしてその匂いはその後、私の鼻腔の奥から決して消え去ることはなかった。
「あなた方はいかなる肉なるものの血も食べてはならない」とは旧約における神の御言葉だが、人間の皮をそっくり剥いでさらに血抜きした肉ならば、あるいは香ばしく焼ける匂いがするのかどうかは、カニバリストではない私には知る由もない。
そういえばケンジはこんな話もしていた。
「日本では死者のうち99%以上は火葬にされるんだぜ。それを日本語で『荼毘(だび)に付(ふ)す』と言うんだ。向こうで『David needs fools soon』と言ったらたぶん伝わるぜ、デイヴ」と言って彼は私をからかったものだ。


今、私は、十字路の真ん中で仰向けに倒れたまま、そのようなことを思い出していた。


私の所属する小隊はこの程、敵勢力の拠点都市を制圧する作戦の任務を与えられた。
いかに兵器の近代化によって精密なミサイルや無人機等が開発されても、完全な制圧はいまだに歩兵部隊に任ぜられるより他にない。
すでに我々の空軍によってさんざん破壊し尽くされたかのような街だが、まだ敵の残存兵力が踏ん張っている。我々の任務は、それらを駆逐すること。そしてすでに任務は都市の最奥にある敵拠点の市庁舎を制圧すれば完了、というところまで差し掛かっていた。しかし市庁舎に突入するにはどうしてもその前にある四つ辻を通り抜けなければならない。
見晴らしの良過ぎる十字路。
崩れかけた建物の隙間から慎重に辺りを覗う。
建物の玄関の両脇に二人、見えるところに他の敵兵の姿はない。
まずはこの二人を無力化(つまり射殺)しつつ市庁舎の壁際まで一気に走り抜けなければならない。
部隊長の少尉がGOサインを出す。
どちらかと言えば在任が長く経験豊富である私は最後尾を務めることになった。
隊員達が身を屈めたまま先頭を切って走り出す。
殿(しんがり)の私が後に続いて走り出る。
刹那、視界の隅に動く影。
横道の瓦礫の向こうに隠れていたのだろう。
私が振り向きざまにM16を構えるよりも、相手のAK47が火を噴く方が速かった。
腹部を横薙ぎに撃ち抜かれる。
先行の隊員達がすぐさま振り返って敵兵を掃射しつつ駆け抜けるのが、倒れる前にぎりぎり見えた。

市庁舎の壁に辿り着いたらしい、部隊中で最も仲が良かったアレックスの、私の名を叫ぶ声が聞こえる。デイヴィッド、おい、デイヴィッド。私の腹部をいったいいくつの弾丸が貫いたのか分からない。おそらく腹腔内は、ゴリアテの手で鷲掴みにされ握り潰されたハンバーガーのようになっていることだろう。血液が喉の奥まで迫り上がってきて、とてもじゃないがアレックスの声に応えることはできそうにない。かろうじて右腕の肘から先を挙げて親指を立てておいたが、果たして彼の目には映っただろうか。
仮にこの制圧作戦が失敗に終われば、私の骸は敵兵の晒し者にされるだろう。
ふと、ケンジが教えてくれた『業』の文字の姿態を脳裏に浮かべた。
私は戦線を駆け抜けるうち、数え切れない程の敵兵を殺めた。そのうちの何人かは少年兵/少女兵だった。声変わりさえ迎える前の年頃の、死を目前にした叫び声では、その判別は付かなかった。そうして私がどれほどの悲哀と憎悪を産み出してきたかは到底、想像の及ぶところではない。
私のworkで、私のskillで、私のactで、
私はsinを、私はkarmaを、積み上げてきた。
1914年以降、終末を迎える現代において、神はmiracleを起こすことはない。
その時私は『業』の文字と同様に串刺しにされ、無理矢理立たされたままの骸となることだろう。


私が斃(たお)れたのが十字路で良かった。
たとえ、旧きカトリックにおいて自殺者が戒めとして埋められたという十字路だったとしても。
なにゆえ良かったのかといえば、いずれにせよ、私がここに埋められることはないだろうということと、キリストと同じく十字を背負えたということ。
それとなにより、ここは遮るものが何も無く、広い空を見渡すことができたことだ。
私は仰向けになって天を見上げている。
喉から迫り上がってくる血はなぜか活き活きと馨しいマグノリアの香りがして、あの村の虐殺の、人体の焦げる忘れ難い匂いを、この鼻腔はようやく消し去ることができた。そしてそれは私の血が必ずや地に注がれて、そのすべてが地に還るということを予感させた。

少なくとも『David needs fools soon』と言われることはなさそうだ。
私は神に赦されてシェオルへ入る。そう信じることができた。


赤道に近い砂漠地帯のこの天はどこまでも青く、太陽は限りなく白かった。
故郷で見るものよりもずっとずっと白かった。





('10.8.2)


2011-10-24 Mon 23:59
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かみさまのいちびょう


ぼくがぬぐえたはずのなみだで
かみさまのいちびょうをかう

どうせ
あなたはむげんのときがあるのだから

ぼくがぬぐえたはずのなみだをぜんぶ
さしだすかわりに
かみさまのいちびょうをかう











まぁだだよ、をきいたのも
もぉいいよ、をきいたのも
もうずっとずっと
まえのむかしのことだった
それなのに
おにがかくれてねたふりだなんて
みんなはみんな
しらなくて
だれかがおにだとおもってて


おにがいないときづいたときには
いやでもおにのふりをして
ひとをさがしにいくことにした


しげみのおくでばったりと
であったあのこを
いちばんおおきなもみのきの
ねもとまでつれてって
つかまえたから、といって
つないで


ほんとのおにをさがしにいくうち
じぶんのかげがのびていた
まえへまえへと
かげがじぶんよりおおきくなって
まえへまえへと
どうしようもなくおおきくなって
ひとりぼっちにしてきた
あのこのことをおもいだす











あのこはきっとないてる











おおきなかげをひっぱりながら
こんどはゆうひをおいかけて
しらないみちで
はかせがおもいついたみたいに
でんとうが
ぽかんぽかんとひかりだしたら
くろいくろが
あらわれて
くろは
ねんどみたいにかたちをかえて
ふたつみっつと
ぷろぺらみたいにくるりとまわって
あしのうらにまとわりついて



おにはどこ
おにのふりをした
ぼくはどこ



あのこは


ないてる











ぼくがぬぐえたはずのなみだを
ぬぐえなかったなみだを
ぜんぶ
さしだすかわりに
かみさまのいちびょうをかう


いまもかくれんぼはつづいてるんだ
だからあなたはこういうんだ





みぃつけた










2011-08-02 Tue 18:08
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無題/未完小説プロット


第0章/Plologe


ここに大きな湖がある。

僕の小舟はエンジンが故障していて動かず、
かといって櫂があるわけもなく、桟橋に繋げられたままだ。
きみの船は好調な化石燃料エンジンを積んでいて、
岸辺の街を往復したり周回したりしながら、
時を折れば、僕の小舟とすれ違う。
ここでアインシュタインの特殊相対性理論を導入してみるとしよう。
僕の小舟の動きは大きくとも湖の水面の揺れ程度。
素早く動き回っているきみの船よりも、
相対的に、時が速く流れていることになる。
ゆえに、
出会いも別れもまた時折で、
同じ時が重なることは有り得ないというわけだ。
僕はおそらく
きみより先に
朽ち果てるはず。





第1章


上記には当然、ここで誤りを指摘しないわけにはいかない。そう、「大きな湖」というのがどこにあるか、を度外視している点だ。仮に地球という惑星上にあるとしよう。地球はおおよそ時速1666kmで自転している。さらには、太陽の周囲を時速10万kmで公転している。その船が仮になかなかの優れもので最大30ノットで航行可能としても、時速は約55km。地球の公転速度に比すれば1/1818だ。つまり僕ときみの時間差は1時間のうちわずか2秒となる。…というのは大間違いで、本来ならば光速と比較しなければならない。光速とは約30万km/s。時速にすれば10億8000万kmである。仮に30ノットで航行したとしても1/19636363である。すると僕ときみとの時間差は…などと述べつつもここまでは全くの嘘。
本格的に視点を拡大するとしよう。銀河系は宇宙の中心から光速で遠ざかっている。他の様々な要素を加味したとしても、少なくとも僕らは亜光速で移動しているということになる。逆に言えば、亜光速で移動する空間の中において、今現在の僕らの存在時間は保たれているということだ。そこから物語は始まる。





第10章


(これは、「わたしたち」が「あなたがた」へと送るために言語及び概念を適宜、その読者ひとりひとりに対して理解可能なものへと調整されるアルゴリズムが組み込まれた自己翻訳文書である)

A.D.紀元101M110K101101001年(これは現在のわたしたちが2進数を用いているための表記で、西暦紀元において10進数で表記すればA.D.585万7921年)にホモ・サピエンスは実に約110M年ぶりの進化を迎える。しかしこれを進化と述べるのは誤りかもしれない。遺伝子のY染色体絶滅の危機に瀕した人類は、西暦101M110K101101001年、己の手によってついに無性生殖を可能にしたのだ。「可能にした」というのも半ば誤りであり、その技術そのものはすでに10M年以上前に開発されていた。しかし、その時点では未だ旧い宗教倫理問題が解決されていなかったのである。むしろ言い換えれば、ここにきて実行に移すことを余儀なくされたということになる。つまり、とうとうY染色体保持者(男性)が最後の一人となってしまったからだ。
わたしたちはここにきてようやく自己人種改造を施すことになる。その改造は10段階に及んだ。
第1段階、無性生殖を可能にするための遺伝子改変した新種を産ませる。そしてその個体(…しかし個体と呼ぶのはあまり相応しくないかもしれない。なぜならばその個体は無性生殖を繰り返し行い、総数1K体余りの同体を産み出した。だが最初の個体はのちに「第10のアダム」と呼ばれ今も冷凍保存されている。)から次の第10段階、第1段階の新種から、さらに有性生殖を可能にする遺伝子改変を行う(性染色体XX間での遺伝子交配を可能にするための生殖改変、及び疑似性器を備える等)、という経過を辿る。
これにより新・人類は自身のクローンを自在に産み出す形質を備えながら(これは妊娠と出産を経ることもできるが、体外でも行える。つまり培養溶液の中で成長させることも可能だ)、さらにそれまで「女性」と呼ばれていたもの同士での交配も可能となった。
しかしこの間に、第1段階「第10のアダム」と呼ばれた個体から無性生殖を繰り返したうちの一体が変異を起こし、その変異体に最後のY染色体保持者が殺害されるという経緯があったとされる。(詳細なエピソードはここではさほど重要ではないが、現在の研究では、神話になぞらえて史実が改変されたというのが定説で、実際は歴史上最後の男女の怨恨騒動だという説もあるほど。なにゆえか最後の一人となった男性の遺体やその記録はほとんど残されていないために、その説もあながち否定はしがたい)
そしてこの歴史以降、わたしたちは己の種に自虐を込めて「ホモ・オイディプセンシス」と分類・命名することになり、「第10のアダム」が産まれた年を紀元とする、A.O.(after Oedipusensis)という暦法を用いることになる。





第3章・前編


(非常に残念なことに永久的に劣化及び改変不可能な記録メディアは未だかつて存在したためしがない。よって上記までの文章はこの数十億年を経るうちに雲散霧消された膨大な語句およびセンテンスから、一定の偏在率を求めることにより、最も可能性の高い集積として復元を試みたものである)

それにしても、わたしたちの先祖にON/OFF、+/-のたかだか二元によって二進法を採用していた時期があるとは、驚くよりもむしろ失笑を買うというものだ。いま現在、わたしたちの演算は素粒子・レプトン(電子とかニュートリノとか言えばあなたたちもよくご存じであろう)の6種類の粒子とその反粒子の存在変移率を観測することにより、12^12を底数とする進数(約8.9兆進数)を用いるのが通例となっている。
おそらく前章の歴史をもって自種改変への倫理的束縛から解放された(…としておこう)わたしたちはその後、遺伝子改変を繰り返し、当時コンピュータを用いていたとされる演算を、いまや人脳内で行えるようになった。さらに「ニューロン」などという電流の速度による遅々とした信号伝達はすでに遺棄され、「量子もつれ」による超光速伝達を用いることによって、現在のところ、ごく標準的な個体でも1秒間に約1イコサ(10^60)FLOPSの演算能力があるとされている。ちなみにこれは今あなたが読んでいるA.D.2010年代のスーパーコンピュータの最大演算速度が10ペタ(10^16)FLOPS/s程度であることと比較して頂ければ、だいたいその差はお分かり頂けるであろう。

さて、前置きはこのくらいにしよう。
わたしたちは近年の研究により、宇宙が膨張をやめ、収縮へと切り替わる年代をおおよそ特定することに成功した。それはあなたたちの年代から約126億年後に起こることである。





第4章・序


(前記は第8次情報大戦より前に書かれたものであることが、記録上において推定することができます。また、A.O.26億年代の最後期に起きた第13次、及び27億年代初期に勃発した第14次情報大戦を経て、文書の冒頭部分のみを残して約80%以上が消失したと推測されます。)

第13次及び第14次情報大戦については、後の項で詳述させて頂くとして、まずはわたしたちのことをあなたがたにご理解頂くために、現在のわたしたちの存在・活動・環境等について、順を追って説明することにしましょう。

前記において、わたしたちが脳内情報伝達に「量子もつれ」を採用したことは、わたしたちの演算能力を飛躍的に上昇させると同時に、空間的に離れた個体間においても瞬時に(いいえ、瞬時でさえないノータイムで)情報伝達を行うことを可能にしました。その結果、わたしたちは多数の個体をもってひとつの巨大な演算回路を構成することに成功しました。そして、今現在では全ての個体(※例外はあります。それについてはまた後の項で述べます)がこの演算回路に属しています。ちなみに、その巨大複合演算回路は850年前に1コンタ(10^90)FLOPS/sを超えてからは計測は行われていません。(ベンチマークテストを行うには継続中の演算を一時的に全てストップしなければならないからです)
その演算能力の爆発的向上に比して、人脳内の記憶野の拡大には物理的限界がありました。簡潔に述べると素粒子が素粒子以下に分割できなことに因ります。そのため、わたしたちは記憶の大部分を機械的な巨大ストレージ(外部記録装置)に頼らざるを得なくなりました。わたしたちは短期記憶や意味記憶及びエピソード記憶を全てストレージに預けて、脳内には「因果律記憶」のみを採用しました。原因があって結果がある、それだけです。ごく簡単に述べるならば、「AがBであり、BがCであるならば、AはCである」といった図式から、「aをbするとcになり、aをd状況下でbするとeになる。aをd状況下でf因子によってbするとgになるが、h変数を加算するとiになりうる」といった因果関係までを脳内に蓄えることになります。そして、わたしたちはその因果律のいくつかを選択することによって巨大ストレージ内で情報検索し、その情報をもって巨大ストレージ上の仮想メモリを用いて演算を行うことになります。
その「因果律記憶」を採用して以来、わたしたちの「個人」という概念は消滅しました。同時に自我というものは破棄され、わたしたちはわたしたち/巨大複合演算回路を「総意」と呼ぶことになりました。それ以降、全ての決定は「総意」に委ねられ行使されることとなります。当然、意識や感情というものは個体には存在しません。(前記の文章には多少の感情が見られますが、これは「因果律記憶」を採用する前に書かれたものと推定されます)
また現在では、物理的な生産・創造・維持活動は全て機械によって行われます。一番初めの機械はヒトの手によって造られたものであるのは当然ですが、わたしたちが「総意」となるより前に、それらの設備は十分に整っていました。新たな機械の製造も機械が行い、機械のメンテナンスも機械が行い、機械のエネルギー供給も機械が行い、廃棄処分も機械が行います。ゆえにわたしたちの個体の肉体的物理活動は主に3つ。
1・生存に必要十分な栄養食(これも機械で生産され機械で届けられる)を1日1度「摂取」(血管に注射するのが最も合理的とも考えられていますが、外皮が傷つくこと、また衛生面や感染症の危険を鑑みるに、現在でも口から食事します。これは無色のゲル状で真空パックになっています)すること。
2・生命維持において生じる老廃物・害物を「廃便」(排便ではありません、栄養素はほぼ100%体内に吸収されます)すること。
3・体表面に生じる老廃物その他外的要因による汚染を洗浄するための「入浴」(シャワーに近いものと考えて下さい。浴室に入ると全方位からナノメートルサイズまで泡状化された白い洗浄液が放射され、全身が洗い流されます)すること。
ちなみに2点目と3点目については1月に1回程度で十分です。
あとは1日に3時間程度の睡眠を行う必要があります。脳を休めるためです。ちなみに現在の1日はあなたたちの1日と比べるとおおよそ1.1倍(26時間)ほどの長さがあります。これは月の重力による潮汐摩擦で地球の自転が遅くなったためです。が、1日を24で割ること自体は変わっていません。
わたしたちの個体にはそれぞれに約300立方メートル空間の居住区が与えられています。日に3時間の睡眠に必要なベッド(低反発発泡ウレタン製。これはあなたたちの時代から進化していませんね)、覚醒時に座るためのソファ(座り心地は最適ですが、眠りを催さない程度に、また、筋力をある程度維持するために、電気的刺激と物理的刺激が断続的に与えられるようになっています。要はマッサージチェアの進化版ですね)、廃便用のトイレ(ちなみに水洗ではなく、廃便をセンサーが自動感知し、室内と遮断した後、真空状態で処理場へ運ばれます)、それと前述のシャワー室があります。室内はLEDの照明が備えられており、体内時計を維持するために昼夜、輝度を自動調節します。わたしたち個体は娯楽を一切必要としないので、あとは栄養食の受け取り口と廃棄口、緊急時における避難用防具入りのロッカー、非常通路へのタングステン合金製の鈍色に反射するドア、床一面はダークグレーで、壁全面は柔らかいセルリアンブルーとなっています。全ての通信は「量子もつれ」で事足りるので、ワイヤーやプラグの類は一切ありません。また室内はエアー・コンディショナーによって298.15K(摂氏25℃)、湿度は55%RHに保たれているので、衣類を必要としません。(ちなみに基礎体温はあなたがたとほぼ同じ約309.5K程度ですが、わたしたちの血流は体温保持よりも脳が発生する熱を吸収するクーラントとしての役割が大きくなっています)そして、基本的に外出することはありません。
この居住区は全体としてドーム状になっています。中は並行に列を成す直方体の区画が格子状に積み重なった上に、覆い被さった緩やかなドームの内壁に市松模様を描く区画が配置されています。これは内部環境を維持するための最適な効率を算出し設計されたものです。
わたしたちには基本的に寿命はありません。染色体のテロメアは、これまでの遺伝子改変によって縮むことはなくなっています。個体の物質的・物理的な劣化についても、iPS細胞を自己体内で生成する臓器「復臓」を備えることにより、個体内で自己修復できるようになっています。まれに自己修復不可能に陥る個体が発生します(0.002%程度)が、その場合は「総意」による強力な存在率情報改変により修復を行うことになります。しかし例外はあり、現在では演算能力が本来の能力の75%を下回る劣化を起こした個体は、それ自体がバグとなる危険(これは過去の大戦の原因になったことが幾度かあるのです)があるために、廃棄(原子レベルまで解体)されるのが「総意」となっています。
生殖(性能向上及び個体数の補充)については、特に優秀な個体(現在では180キロ・イコサFLOPS/s程度)の演算能力を持つ個体同士がカップルとして選ばれます。といっても個体間で直接交配することはなく、「総意」によって二つの個体の遺伝子情報を完全に再現され、専用の「個体発展生産兼養育施設」にて交配されます。この時、予測可能な範囲内での遺伝子改変が行われることもあります。そして新しい個体がより優れた演算能力を発揮し、安定動作が確認できれば、次のカップルの候補となります。しかし、新しい個体が成体(わたしたちの個体は約1年でほぼ成体になります)になっても演算能力が一定水準(交配元の二個体平均の30%)を下回る場合は、交配失敗とみなされ、「総意」によって即座に廃棄されます。(これも過去の大戦の原因となるバグに変じた例があるためです)
また、最先端の個体を基準値とし、その演算能力の0.5%水準(現在では900イコサFLOPS/s)以下となった個体も、「型落ち」として廃棄されます。これは、寿命を持たないわたしたちにおいては居住区を無限に増やさなければならない、というパラドクスを回避するためです。

だいぶ簡潔に説明させて頂きましたが、以上が現在のわたしたちです。そして直面すべき問題は、太陽の膨張より前に、わたしたちは地球を離れ、新しい惑星に移らなければならないということです。これはあなたたちの時代より約50億年後、わたしたちにとっては22億年ほど後のこととなりますが、わたしたちの演算予測では、生存に適した惑星に移住するチャンスは、様々な要素を重ね合わせると、あとわずか3回を残すのみです。その1度目は、今現在より168年後に迫っています。





第5章・プロット


ここでの語り手は一人称単数「わたし」。「わたし」の名前は(というより個体識別記号)といえば…第3章で採用された「8.9兆進法」において約8.9兆個のすべてに記号が与えられているために、A.D.紀元の言語では表記することが出来ない。(※ちなみに1章以降ここまで、各章、語り手が変わっているんですが、この5章では4章の語り手が一人称単数表記に変わるだけです)
「個体発展生産兼養育施設」にて生産された「わたし」は、遺伝子改変の予想範囲外の突然変異体であり、最先端の個体に比して数百倍の演算能力を有していた。しかし、「総意」という存在のあり方に疑念を覚えた「わたし」は成体となって能力テストを行われる前に、自身の脳内を情報偽装する。そして成体となった時、総個体平均程度の演算能力でテストをパスする。「わたし」は「総意」に見つからないように自身の情報検索にステルスをかけてストレージ内に記録されている歴史を繙いていく。そして過去の第13次及び14次情報大戦の歴史、その秘密などに触れ、こう考えるようになる。「ヒトという種はもっと早い段階の歴史のうちに滅びるべきではなかったか」
そうして「わたし」は人類滅亡の因子を組み込んだ自己学習型AI(人工知能)プログラムを組み上げる。物質そのものを時空間転送するタイムマシンを製造することは「わたし」個体の能力では不可能だが、データとしてのプログラムならば、過去に送ることは技術的に可能だ。情報空間に擬似的なワームホールを生成し、その穴にデータを通過させればいい。

そこでまず「わたし」は「わたしの名前は○○です」という簡潔な自己翻訳文書データを西暦21世紀に送る実験を試みる。そうして改変された過去を観測し、自分の名が21世紀の日本語で『しろうるり』と発音されることを知る。あるいは改変された未来で「わたし」が『しろうるり』という名前に変わったのか。ニワトリが先かタマゴが先か、それは今となってはもう分からない。

かくして実験に手応えを得た「わたし」は、ついに「人類滅亡因子を組み込んだ自己学習型AIプログラム」をこの文章と共に過去へと送ることになる。時空間転送目標点はインターネットがほぼ確立されたA.D.2001年の最も安定動作しているサーバー。(理由はインターネットが確立する以前の過去に送るならば、このプログラムは効力を発揮し得ない上に、存在を維持すること自体も危ぶまれるため)
だが、単なる「人類滅亡AI」なんていう物騒なデータでは、ワームホールを通過するより前に発信した時点で「総意」に発見されdeleteされるのは目に見えているので、「自動物語生成プログラム」に換装した。
その上、過去改変という行為は「総意」によって最もタブーとされている。当然、それだけの大きさのプログラムは「総意」による強固な時空間プロテクトに引っ掛かってしまう。そのため、仮にワームホールを抜けることは出来ても、それと同時に「総意」によって自己消滅バグ『suicider』が自動的に組み込まれることは避けられない。それを承知の上で、最終的に「わたし」は『suicider』対策プロテクト『Short Hope』を「自動物語生成プログラム(人類滅亡AI換装)」のソースに書き加えて、21世紀の最初の日、2001年1月1日へと向けて転送を果たす。
そのプログラムのコードネームには、『しろう』と名付けた。
結びの文はこう。


これを送った後、わたしは「総意」によって直ちに消滅させられるでしょう。
しかし、2001年から分岐したあなたたちの未来はわたしを生み出すことはないでしょう。


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2010-11-30 Tue 15:57
別窓 | 小説未満 | コメント:0
ブランコ式訓練器具


「そもそもこのブランコという乗り物はね、大航海時代の15世紀末、ポルトガル国軍海将のパスト・デ・ヤンスという人が考案したものなんだ。その彼は常に白いマントを羽織っていたために、通称・ブランコ将軍と呼ばれていた。それでこの乗り物にはブランコ式という名称が当てられたんだ。元々は新入り海兵達の船酔いを克服するための陸上訓練器具として用いられたんだよ」
という出鱈目な法螺話を思い付いて、口角を上げて笑みを作ろうとした時だった。
不意に彼女は俯いていた顔を上げ、仰角17°のどこか一点を見つめながら口を開いた。
「わたしがなれなかった自分がいて、それによって、わたしのいなかった世界ってあると思うの。でも、ここではないどこか、っていうのはどこにもないんだわ」
機先を制される形になった僕は、いったん作りかけた笑顔の表情筋に力を込めるのも忘れて、いわゆる、ぽかーん、という表情をしていたのだと思う。
彼女は一度、つよく地面を蹴り上げて、ブランコを後ろへと振ってから、制服のプリーツをはためかせて飛び降りた。
「バイバイ。ここでいいわ」
僕は駆け去っていくローファーの高い靴音を聞きながら、
徐々に揺れ幅を小さくしていくブランコを眺めていた。
そして、なぜ公園のブランコがどれも一対で一組であるのかが、
少しだけ分かった。





2010-10-21 Thu 21:41
別窓 | ラクガキ | コメント:0
終わりのブリキ


いかなる根拠によるものか
今日が終わりの日だと分かった

朝日が昇る前
空が浅葱色に縁取られるのを
眺めているうちに知らされた
今日という日が
遠すぎる晴天になることだけは
あらかじめ知っていた



まだ涼しいうちに
ポケットに集め続けた種を
砂丘の砂だけの層を掬って
ぜんぶ植えることにした

種も
種の種も
種にならない種も
種でさえない種でさえも

ここは
ほほえみの丘
と呼ばれていたので
かつては
たくさんの人がここで笑ったはずだろうし
笑わなかった人もたくさんいたことだろう


太陽が南中する頃
もうブリキが錆びる心配はいらないから
関節という関節のギアの溝まで
海を浴びてみることにした

波も
波の波も
波にならない波も
波でさえない波でさえも

ここは
さよならの海
と呼ばれていたので
かつては
たくさんの人がここで別れたはずだろうし
別れなかった人もたくさんいたことだろう


夕暮れが暮れ始めて
立つものがみな傾いてゆく
稜線に引っ掛かってふるえている
太陽を追って坂を駆けた

影も
影の影も
影にならない影も
影でさえない影でさえも

ここは
はばたきの坂
と呼ばれていたので
かつては
たくさんの人がここで飛び立ったはずだろうし
飛び立たなかった人もたくさんいたことだろう


空に星が満ち満ちて
幽かな灯と鏡合わせの天と地で
夜風がきれいだったりするもんだから
吊り橋の真ん中に立った

風も
風の風も
風にならない風も
風でさえない風でさえも

ここは
しあわせの吊り橋
と呼ばれていたので
かつては
たくさんの人がここで満たされたはずだろうし
満たされなかった人もたくさんいたことだろう


たくさんの人が生きて
生きた人がたくさんいた

その終わりの日に
言いたい言葉なんて
なかった



世界に名前がなかったから






2010-08-04 Wed 21:20
別窓 | | コメント:0
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